「雨中石山寺」 2


 辺り全体高い樹木に囲まれて薄暗い。
 四十段あまりの石階段を半分ほど上ると左手に本堂の姿が僅かに見える。

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 上はまだしも明るそうだ。
 ―― どこかで見たような光景やな
 何度も見たような気がしてくる。実際少なくとも四五度は見ているはずだからそう感じるのも当然、とはいうものの記憶にあるわけではない。甦ってくるというのでもない。変な言い方になるが、《不確かな安堵感》。
 直ぐ傍に、なにを祀るのかどこにも案内が記されていない苔むした祠がある。

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 幽邃。しっとりしみじみと落ち着きを伴って、見過ごされるために建っている。
 ―― 雨宿りしたいなあ
 石段を登り切ると視界いっぱいほどに、巨大な閨灰石の固まり、その上の方に多宝塔が聳え、多くの樹葉が一面を蔽っている。

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 ―― あゝ、こんなやったかぁ……

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 見事という言葉以上に壮麗である。天然記念物だという幾つもの巌(いわお)が雨に濡れて黒々と渋い光を滲ませている。よくぞ「石山」と名付けたり。素朴な命名がいいではないか。ここに寺が建つ前から原始の人々によって「イシヤマ」と呼ばれていたに違いない。

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 記憶の片鱗が甦りそうになった。そしてゆっくり消えていった。
 残念なことに、雨宿りできそうな観音堂には已に人が何人か…。毘沙門堂も。雨が音を立てて樋から落ちている。
 
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 毘沙門堂の向こうに御影堂が、雨に少し霞んでいる。御影堂は質素でおわす。
 私は少し足を速めた。
 ―― 本堂まで行ったら……
 雨宿りもできるに違いないと本堂の方に振り向くと妙に手前が明るい。

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 蓮如堂だ。
 やはり何人かひとが動いていた。蓮如の遺品が祀られているという。

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 覗いて見たいし雨宿りもできそうだった。
 しかし、
 ―― 先が長い さっきィ ちょっと時間取り過ぎたなあ やっぱり本堂に急ご
 本堂への屈曲した石段をゆっくりと急ぐ。走れないのだ。小走りも無理。左踝から下に軽いヒビが残っている。だからやっぱり「ゆっくり急ぐ」のだ。
 辺りは岩だらけだ。
 
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 目前に本堂が見えてくる。

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 上がりきるとまず「紫式部源氏之間」が目前にある。

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 ―― えーっ?
 説明を聞いた昔(?)の、僅かの残像らしき〈感じ〉と違うのだ。正面からでなく左側から見ていた気がしていたのに…。残像の彩りはもっと広々としていて、はるかに明るいものだった。私が何か別の感覚と混同していたことは明らかだ。不確かな自分に気づいたときの嫌な揺らぎが私の頭を揺すって通り過ぎる。
 直ぐ傍で傘を用意して来なかった観光客が大きな声で「どないしよう。こんなに降るて思てなかったもんなあ」などと連れの何人かと話している。見ると高価な洋服を着込んでいる。気の毒だがどうしようもない。私はその会話の声を避けるようにして体を入口の方へ移動させた。
 ―― 拝観料がいるのかぁ……
 私のポケットの小銭入れはさっき入山料を払ってほぼ空っぽだった。年金生活に入ってからはなるべく不要の金を持ち歩かないことにしている。
 仕方がないので辺りをゆっくり物色、いや、ゆっくりいい被写体を……やはり、物色するように眺め渡した。

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 場所が場所だけにしっかりとした造りになっている。

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 昔はさぞかし絶界秘境の感が一面に漂っていたのだろう。

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 静寂を通り超して静謐幽寂、夜ともなると怖ろしいほどの闇に包まれたことだろう。夜のはらわたに飲み込まれる幻覚も味わったに違いない。紫式部がそんなところに端坐している、ほの暗い灯火のもとで。
 ―― 今時の人間には無理やなあ
 私は石山寺で物語の着想を得たということを信じてはいないが、想像は愉しい。
 ところで、「本尊観音は勅封になっている」そうだ。「勅封」――「チョクフウ」!? つまり天皇もしくは宮内庁による「見せん」という命令! それも仕方ないか。何しろ天皇家私有財産なのだから。日本国中至る所にそうした私有地私有財産がある。国が、つまり宮内庁がそれを管理しているに過ぎない。新憲法下でも「勅」は生きている。戦前が解体されたわけではないのだ……。
 雨宿りをかねて三十分ばかりいたろうか。雨脚は一向に衰えず、むしろ激しくさえなっている。
 ―― いつまでもこんなことしてられへんな
 と移動開始。そのとき、
 ―― むゥ!? 女子大生!?
 そう、若い二人が本堂から出てくる姿を見とがめた。
 何気ない風にして追い越し、振り向くと紫式部の間に向かって手を合わせる気配である。紫式部もお賽銭を貰っては面食らうであろうに、ここは八百万(やおよろず)の人々が神になる国。一人の女の子が手提げからお金を出すのにもたついている間に、もう一人の娘は早々と合掌。
 パチリ。

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 なぜか、この瞬間を撮りたかったのだ。
 順路に従って三十八社の方へ行こうとしたとき、あるぬ方から初老の男性が現れた。男性は本堂の横手裏の方から現れたのである。寺の人には見えなかった。
 ―― なにがあんにゃろ
 私はしばし迷った、迷う道理などありえないのに。そちらは順路ではない。しかも、境内の案内図にはなにも書いてはいない。二人の女子大生が私を追い越していきそうだ。私は迷った。