「雨中石山寺」 1

「ぶらり何処かへ」特別編 「雨中石山寺


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石山寺縁起』によれば、聖武天皇の発願により、天平19年(747年)、良弁(ろうべん、東大寺開山・別当)が聖徳太子の念持仏であった如意輪観音をこの地に祀ったのが当寺の初めとされる。聖武天皇東大寺大仏の造立にあたり、像の表面に鍍金(金メッキ)を施すために大量の黄金を必要としていた。そこで良弁に命じて、黄金が得られるよう、吉野の金峯山(きんぷせん)に祈らせた。金峯山はその名の通り、「金の山」と信じられていたようである。そうしたところ、良弁の夢に吉野の金剛蔵王蔵王権現)が現われ、こう告げた。「金峯山の黄金は、(56億7千万年後に)弥勒菩薩がこの世に現われた時に地を黄金で覆うために用いるものである(だから大仏鍍金のために使うことはできない)。近江国志賀郡の湖水の南に観音菩薩の現われたまう土地がある。そこへ行って祈るがよい」。夢のお告げにしたがって石山の地を訪れた良弁は、比良明神の化身である老人に導かれ、巨大な岩の上に聖徳太子念持仏の6寸の金銅如意輪観音像を安置し、草庵を建てた。その2年後、実際に陸奥国から黄金が産出され、元号天平勝宝と改めた。こうして良弁の修法は無事に効果を現わしたわけだが、如意輪観音像がどうしたわけか岩山から離れなくなってしまった。やむなく、如意輪観音像を覆うように堂を建てたのが石山寺の草創という。【出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B1%B1%E5%AF%BA 



5月11日

 石山寺へ行こうと思い立ったのは「石山寺紫式部展」をやっていると知ったからである。紫式部や「源氏物語」に造詣があるわけではない。関心が深いわけでもない。ただ家から近い。ふと「行ってみようか」と思ったに過ぎない。
 その日、やめてもよかったんだが …… 朝から雲具合が悪く、ためらいがあった。
 ―― ウチにいてもしゃあない 写真撮りに行こ
 それで出た。
 社会人になって石山寺へ行った記憶はない。大半は小学生のとき遠足で行った記憶と、《親に連れられて何度か行ったなあ》という朧気な気分だけが甦る。もう半世紀近く前のことではないか。
 両親の里である広島県の田舎から親戚の者が来るとよく連れられて行った。数年前他界した伯母がまだ高校生であった。歌が上手く快活で、一緒に駆け回っていたような気がする。
 遠足では、「ここで紫式部が『源氏物語』を思いついた」という説明を聞きながら内心《ウソや》と思っていた。誰かの受け売りがあったからかも知れない。それにしても、あまり素直な小学生ではなかったな、と振り返る。岩の形状も思い出せない。
 石山寺に着くと、案の定、かすかにぱらついていた雨が本格的になりだした。
 観光客の中には傘の用意をせず駆けていく人もいる。といっても、駐車場には数台の自家用車、タクシーと観光バス一台だけだった。人は少ない。寺までの間に並ぶ土産物屋や飲食店も閑散としている。手持ち無沙汰にテレビを見ながら店番をしている姿もある。
 ―― これ以上降らんといて欲しいな
 そんな願いが叶えられよう筈がない。天気予報は大荒れを告げていた。
 ―― かまへん。カメラだけは濡れへんように……
 またしても不可能なことを呟きながら歩く。
 ―― きれいや
 道路をはじめ全体に清潔である。心地よい。ゆっくりと辺りを見渡しながら歩いた。左に折れると、東大門が目に跳び込んできた。

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 東大門全体が濡れている。雨のせいばかりではない。二人の女性職員(?)がまさに雑巾掛けの最中である。丁寧に腰板・柱から手の届く範囲を拭き上げていた。

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 ―― なんや? この大きな草鞋は……
 と思ったが、素通りする。

 門を通ると真っ直ぐに石畳の参道が伸びている。

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 清潔感がしみる。雨がしっとりとした潤いを添えている。
 赤いつつじが鮮やかに落ち着いて見える。
 左右に宝性院、法輪院と清楚な庭が見えるが、まずは本堂を目指す。ところが、受付を通るとすぐ左の明王院で「紫式部源氏物語展」をやっている。見ると「入場無料」の文字。スルッと入ってしまった。

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 西陣美術織館の主催。多くはないが素晴らしい織物、衣装、帯や絵など、なかなかの見物であった。ついつい時間を喰ってしまった。
 明王院を出ると本降りになっていた。そして目の前にくぐり岩があることに初めて気づいた。すべてが大理石だというのだが、苔むしてそれと判らない奇岩のかたまりである。

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 近くに島崎藤村ゆかりの密蔵院がある。