靴が履けるようになったら(「伊吹憧憬」-1)

「伊吹憧憬」-1


   靴が履けるようになったら
                                                        2006,2,21

 私の左足は10年以上前から傷んでいた。原因は判らないままだ。右足も完調とは言い難く、ときどき痛むことがある。両足とも膝がよくないのである。左が悪くてよかった。これが右足だったら車の運転もできなかったであろうし、仕事も長期間休まなければならなかったに違いない。幸運だった。いや、むしろ右足が悪い方が良かったかも知れない。治療を完璧にしていたら無理をしなくてすんだかもしれない。今のような状態にならなかったかもしれないのだ。「人間万事塞翁が馬」のたとえがある。なにが幸運なのか、解りはしない。
 退職した昨年、2005年春、一番懸念していたのはいつ足がひどくなるかということだった。それまでもよく躓いて生徒に笑われたものである。一つには、いつも同じ所で躓いていたこともある。階段で転びかけたことはあっても転んでしまうところを見られたことはなかった、と思う。想像しただけでも無様でやりきれない。その無様な恰好を人知れずなんどかやっていた。だからいつも不安を抱えていた。本当は無様などと考えてはいない。それも仕方ないことなのだ、気をつけよう。ただ、人はひとの事情を知らない。失笑を買うのがいやなだけなのだ。今はそんな願いも贅沢なものだと自責する。恰好の問題ではないのだ。ヒビ・骨折ならまだましかもしれない。良いにせよ悪いにせよ、人生、なにが起こるか分からない。覚悟だけはしておいた方がいい。
 8月初め、ソフトテニス部の合宿に少しお付き合いした。そのころ既に膝が痛み出していた。予想より早すぎるというのが実感だった。悪くなるのは加速的だ。
 9月9日、重陽節句伊吹山を目指した、と言うといかにも様になる。出かけた。足を引きずりながら。恰好はよくない。ゴンドラを降りると早々にというか賢明にというか、諦めた。無理だ。痛みが激しい。まったく計画性がない。早速、傍にあるホテルの食堂で昼食にとりかかった。
 幼稚園児か保育児か、次々にやってくる。歓声を挙げて軽登山を楽しんでいる。数えられない小集団が昼寝を決め込んだ私の前で集合・出発、整列・下山を繰り返していた。長時間その光景を見つづけた。飽きるほど見つづけ、やっと途切れたかと思うと4時に近い。風も出てきた。奥伊吹の山稜あたりから雲行きもおかしくなり、肌寒くなる。眼前の伊吹山の登山道にはまだ点々と白い人影が動いている。伊吹山が美しい。
 足を恨んだ。――というのはウソだ。私は運命に従順だ。逆らわない。ただシャッターを20回も押していないことがもの寂しく、悔やまれた。
 ――また来よう。
 ゴンドラに向かうとき伊吹山を振り返った。

 私の目論見が一年後れることになっただけだ。この足で登れればの話だが、慌てることはない。ゆっくり挑戦だ。登れば足も良くなるさ、と筋の立たない理屈を立てる。「あんた、なに考えてんの?!」という嫁さんの声が聞こえてきそうだ。
 靴が履けるようになったら出かけよう。


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