浮 御 堂 (25画像)

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「ぶらり何処かへ」特別編



浮御堂とその松(前編)


浮御堂

 ''近江八景の一つ「堅田落雁」として名高い堅田の浮御堂は、いま琵琶湖大橋西岸にあるというと判りやすい。京都紫野大徳寺に属する禅寺であり、海門山満月寺と称する。一条天皇の長徳年間(995年頃)比叡山横川(よかわ)恵心院に住していた源信(恵心僧都)が琵琶湖を山上より眺め、湖中に一宇を建立して自ら一千体の阿弥陀仏を刻んで「千仏閣」「千体仏堂」と称し、湖上の安全と衆生済度を発願したのに始まる。(恵心僧都はパソコンでも変換可能。著書「往生要集」とともに入試頻出。日本の宗教思想に大きな影響を与え、浄土教の基礎を築いた。)
 堅田の地は都に近く、かつ漁業・水運が盛んで、そのため却って戦場となる不運にあい、建武から元亀、天正に至るまで満月寺もまた荒廃し、江戸時代に入って、大徳寺の住持湘南宗沅らによって復興された。
 浮御堂は、桜町天皇の下賜を仰いで御能舞台として建立されていたものであった(昭和9年まで残存。玉鈎亭は浮御堂の古材で作られている)。現在の浮御堂は昭和12年の再建で、「阿弥陀仏一千体」を安置して「千体仏」と称している。平安時代の「多数功徳作善信仰」を今日に伝えている。
 観音堂聖観音座像は、重要文化財である。約900年前、平安時代の尊像である。山門(楼門)、観音堂、浮御堂、茶室玉鈎亭(ぎょくこうてい)は、 登録文化財
 境内の老松は樹齢500年以上、600年とも言われ、琵琶湖を眼前にして、湖東に伊吹山長命寺山、近江富士(三上山)の連山、背後に比良連峰、比叡山を控え、絶景の地として古来多くの風雅人が訪れ、詩歌・絵画を残している。堅田で入水を謀った一休、蓮如も錫をとどめた。''



 堅田の町はきれいだ。なにも浮御堂周辺だけではない。
 ちょっとした露地に入ってさへ整理されている。
 住んでいる人たちがこの町を慈しんでいるのが伝わってくる。
 私は病院でのリハビリのあとぶらぶら散策するたびにそういう感覚を植え付けられた。

 浮御堂界隈はとりわけ気持ちがいい。
 つい、ゆっくりと歩いてしまう。
 急いでいるのは、観光客。

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 桜町天皇以来の関係からか、伽藍には菊の紋が入っている。

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 寺そのものは小さい。
 浮御堂のすぐ近くには6、7台分くらいの駐車場が2ヶ所用意してあって便利である。
 その駐車場あたりから目を上げると、しっかりとした造りの伽藍の一部が見える。

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 大きな石に浮御堂と刻まれた楼門前。
 落ち着いた雰囲気だ。
 楼門の上の扁額に「海門」とある。「海門山満月寺」が浮御堂の正式な名なのだ。

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 楼門をくぐってすぐ左におおきな句碑。

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 五月雨の雨だればかり浮御堂 青畝
 かと思えば、どうも違う。「五月雨の雨重そうに浮御堂」と読むのか?
 草書は読めない。自信がない。(いつか訊いておきます。)

 右手には海門山満月寺。質素で清潔なな造りが目に付く。

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 海門山満月寺本堂正面。


 さらに進むと観音堂
 向こう、湖上に浮御堂。

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 浮御堂の扁額。

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 千体仏が祀られている。



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 浮御堂の全景は写真などでよく見る、まさにその光景である。秋がいい風情だという。こうして見ると春もいい。ただ、さすがに夏から残暑の頃は琵琶湖の水量が減り、興趣が半減するので避けたほうがいい。10年ほど前、ひどい渇水がつづき、干上がってしまったことがある。そうなると興趣も何もあったものではない。水の大切さを言う気はないが、やはり「水の惑星」に感謝したい。命は水から生まれた。

 浮御堂を巡るのにさして時間はかからない。どうも、忙しない現代人の我々には芭蕉などが満喫した人と自然の風雅というやつは身に合わないようだ。こんなところに4、5時間でも坐って月を、山を、湖面を愛でる余裕もなければこころもない。想像を巡らせて、架空風雅を愉しむのがせいぜいだ。真似のしようがない。また、真似てみても、それはもはや現代の精神ではない。やはり、「架空」。そして「架空でもいい。一瞬、古人の風情を感じてみたい」と思う。無理を承知で……。

 さて、浮御堂点描。

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 向こうに高く見えるのが近江富士(三上山)。


 振り返ると満月寺全体が見える。大きめの松の左側に見える屋根が玉鈎亭。

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 浮御堂から離れて玉鈎亭の辺りから満月寺を眺めると20mはあろうかという松の枝が満月寺本堂の縁の前をズーと伸びている。

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 これは壮観だ。大原の法泉院の五葉の松も素晴らしかったが、これもいい。
 500年以上の樹齢という。私はしばらく見入っていた。



 湖岸側に句碑がある。

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     比良三上雪さしわたせ鷺の橋 芭蕉


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     (元禄4年中秋の名月の翌日、十六夜の日)
     鎖(じょう)あけて月さし入れよ浮御堂 芭蕉


 ―― 次は満月寺の素晴らしい松をまとめたい。
 私はそんなことを考えながら浮御堂を後にした。

 その帰り道であのすみれとお地蔵さんに出会ったのです。
     http://blogs.yahoo.co.jp/uttiyda/4582800.html
     http://blogs.yahoo.co.jp/uttiyda/5113757.html