座禅草

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   退職する前から座禅草には是非ともお目にかかりたいと願っていた。
   仕事仕事の毎日だったから、諦めていた。
   考えてみるまでもなく近江今津・弘川は自宅から近いのだから
   いつでも行けそうなものなのに、
   思いこみとは恐ろしいもので、まったく行こうとしなかった。
   ソフトテニス部の合宿のたびに100メートルも離れていない国道161を通っていたのに。
   諦めた途端何も始まらなくなるものだ。
   ついつい自分で嘲ってしまう。

   今年こそと思い、1月、ちょっとした晴れ間を見つけて出かけてみた。
   志賀町あたりは晴れていたが
   北上して中江藤樹屋敷への看板を見る頃には早くも北の空が雪雲になって、
   弘川に着いたときにはもう雪の中だった。
   座禅草の見学者のために設けられた駐車場は
   まるで採石場のように雪が積まれてうずたかい山になっていた。
   むろん見学者は一人もいない。
   私も、下見のつもりでいたからとりあえずあたりをぐるぐる回ってみるだけだ。
   群生地の周囲はさして大きくはない新興住宅地といったところなのに少し驚いていた。
   こんなところに座禅草の群生地があるの? というのが実感だった。
   しかも、そこと分かる群生地は竹林にしか見えない。
   竹林に座禅草? 二度目の驚きだ。
   とにかく、寒いので車から降りないまま四半時ほどうろついた。
   ビラデスト今津はきっと雪深いだろうと想像しながら、
   車を田圃の中を真っ直ぐのびる脇道に走らせた。
   一面真っ白だ。といってもそれほど積もっているわけではない。
   道には雪はない。田畑だけが白く八方に広がっている。
   こういうとき、敢えて走ったことのない道を選んでみる。
   よく通りかかる近江今津一帯が新鮮だった。

   新聞に座禅草の写真や情報が流れだす。
   少しやきもきしながらいつ行こうかと思案した。
   時間と天候と私の都合とがうまく噛みあわない。
   私は何度も、写真で見かける、手のひらを少し丸めたような光背の下に
   鎮座して咲く座禅草を想像した。


  2月22日

   朝は灰色の薄雲がおおっていた。10時頃、くっきりとした青空が勢いよく広がり始めた。
   「よし。決行だ」
   私は躊躇なく、手早く準備をすませて、出かけた。
   和邇平和堂近くで、ふと、
   昨日妻が単一の乾電池を買っておいてと言っていたのを思い出す。
   そしてまたあの座禅草の姿を思い浮かべていた。

   弘川に着いてみると意外と人が多い。駐車場は満車だった。
   幸い私が着くとすぐに入れ替わるように空きができた。
   見学者のほとんどは二人連れか数人のグループだった。
   たまに私のような独り者もいる。カメラをご持参だ。
   私は足を引きずりながら群生地へ向かう。期待する姿があってほしい。
   祈るような気持ちだ。
   臨時の売店ができていて「座禅草餅」(?)を売っている。
   座禅草との初めてのお見合いに気がせく。私は一瞥しただけだ。

   竹林へ向かう。小橋を渡ると柵越しに見えてきた。
   ところどころに雪が残っている。

   いっぱいだ。いっぱい咲いている。