座禅草 ― 12月
12月19日。
久しぶりに弘川の座禅草を見に行った。
半年ぶりだった。
さすがに夏場は行く気がしなかったのだ。
初夏に入ってさえ雑草や若い雑木が生え、何度もお蛇様にお会いしたので
御遠慮申し上げたのである。
その日は快晴だった。
小さな雑木林の
その中の竹林を抜けた。
久しぶりのせいでなんとも懐かしい気がした。
私は冬に入る前の座禅草の姿を知らない。
見ると……
初春にたくさんの座禅草が生えていたところに
らしきものの姿が点在している。
――これか…? (←関西弁で。以下省略)
期待していたわけではないが…
やはり感動からはほど遠い。
覗いて、よく見ると
やはり座禅草である。
――まるで「沈黙」やん…
初夏、まるで野菜畠のようになっていた光景はなく、
見覚えのある形に似た
閉じた座禅草がうずくまっていた。
何かに、
雪に堪える心準備をしているみたいだ。
そんな姿が
あちらに
こちらに……
――春がたのしみやなぁ。
これは、最初の座禅草同様
今年、立派な姿を見せてくれた座禅草に違いなかった。
一際大きな形をしている。
まもなく雪が降り出す。
その中で花を抱き育てるのだ。
大きな感動というのではない。
その静かな営みが私には好もしい。
近くには
一見汚らしく枯葉落ち葉を沈めた清水が
あたりを潤していた。
そして
あの老人が刈ったのだろう。
雑木を細かく切った枝が
一箇所に重ねられていた。
長年世話をし続けている
あの人は
――来年は、何歳にならはんにゃろ…?
「座禅草 - 12月」 終