ウド ・ 独活   棚田の「畑」

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   ■ 山うど   棚田の「畑」で出遭った花


       2006.09.-- 滋賀・高島市

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       「畑」の主生産物の一つが山ウド。
       シシウドに似ているがシシウドはセリ科。
       うど畠はお世辞にも美しい花畑とは言えないだろう。
       農道にもあちこちと至る所に咲いている。


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       独活は木ではなく、多年草
       花は繊細素朴。
                 ……「独活の大木」なんて…言わないデ。



       2006年

       8月25日 驟雨の中の農夫

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       ときどき小雨がぱらついていたが、
       帰り際に激しい驟雨。
       老農夫が山ウド畑のそばで仕事をしていた。
       なかなかやめない。
       私はしばらくバス停で雨宿りをしながら
       「いつまでつづける気なんだろう」と眺めていた。
       雨は止みそうもなく、15分ほどすると、やっと
       ライトバンがある方へ移動し始めた。

       ――今日しなければならないことは 済ませておかないとね

       そんな声が返ってきそうだった。

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       9月11日

       農夫は、私の見るかぎり
       三ヶ月前からたった一人でずう~と土を掘り、
       畑を拓いているかのようだった。

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       9月19日

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       珍しくもこの日、私は農夫を見なかった。


       9月25日

       この日は耕地を作り続ける老人がいた。
     
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       その日
       10月17日

       昼前にはなかった農夫の姿が
       私が帰路につきかけた夕方にはあった。

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       畝ができあがっている。石灰でもまいたのであろう、畝の半分が白い。
       老人が働く姿を見ながら帰り支度をしていると、
       「ええ写真、撮れたか?」と、聞き覚えのある声がした。
       ――あゝ、あのときの…!
       バス停に一番近い家の人だ。あのときも「ええ写真、撮れたか?」と声をかけてきた。
       顔だけでは判らなかったろう。その張りのある大きな声のせいで印象が甦ってきた。
       壮年だと思っていた。
       だから、――鰥夫かな、と以前ブログに書いたように失礼な推測をしたのだった。
       だが、どんどん近づいてくる顔は、初老のようであった。
       話しているうちにさっき急斜面で草を刈っていたのがその人だと判る。
       もちろん手に草刈り機を持っているからでもあるが、
       ついさっき見た姿が土手になかったからでもある。
       だとすると、早い足だ。わずかの時間しか経っていないのだ。
       よほど話好きなのだろう、まもなく日が暮れるというのに……。
       立ち話がつぎつぎと広がっていった。
       村の歴史まで広がり始め、困惑した私は話の穂先を替えたくなるほどだった。
       あれこれ話しているうちに
       その農夫がミョウガを栽培しているのを知った。
       そして歳が私の母と同年84歳であるのを知ったとき、
       少なからず驚いて老人の顔をじっと見ないわけにいかなかった。
       林道ができるまでは隣村の鹿ヶ瀬との間にまともな道がなかったこと
       交流もほとんどなかったと聞いたとき、
       また私は驚いた。直線でわずか1キロ足らずの距離なのに……。
       川筋一本の小さな渓流だけが繋がっていたらしい。
       「小さい頃はようアマゴを獲ったもんや」と言う。
       釣り好きの私は、川にあるはずもない魚影と子供たちの姿を想像した。
       「林道がでけてからは朽木との行き来がなくなった」という。
       朽木は「畑」の西裏山を越えて10キロ以上ある。
       鹿ヶ瀬より朽木との行き来の方が多かったと言うのだ。
       解らない……人や村の繋がりは距離や地勢だけでは決まらなかった…昔。
       今はほとんど行かなくなったと言う。
       新しい道が鹿ヶ瀬を越えて高島町(当時)を真近にしたからだ。

       村の冬の様子を訊いた。
       すると、すぐ横のバス停にはめ込んである村の見取り図を指さして、

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                                              (撮影 8月5日)

      「□□は新しい人や。もともとの畑のモンとちがう」
      「■■は息子が出て行ったので一緒に行って誰もおらん」
      空き家が数軒ある。
      「◇◇は鰥夫や」
      「◆◆は年寄りふたりだけや。息子は大阪や」
      「△△は高島に家こさえて冬はおらん」
      ……
      などと一戸一戸説明し始めた。
      全部話し、聞くゆとりは、夕日が許さない。
      そんな話をしていると例の畠作りに精を出していた老人が
      ライトバンをとろとろ運転して通りかかり
       二人声を揃えるように「おつかれェ~」「おやすみ」と言って、東の村へ入って行った。
      見れば明らかに眼前の老農夫の歳を越えている。
      「あの人は畠を作って何を植えるんです?」
      気がかりだったことをもう一つ訊いた。
      「ウドやがな」
      ――山独活かぁ……。
      話している中で、「少し金になるのでワシもちょとだけ作ってる」と老農夫が言っていた。
      ――孫のためか? 息子のためか? 
         とっくに隠居して安穏に暮らしても
         誰一人文句の言いようもない歳なのに……
      車が去るのを見送ると、
      「じゃあ…冬の間は……」
      ――人が減る。
      「ああ、半分は町に行く」
      「残りの半分の家がここで冬を越すのですか……?」
      「あゝ、町におる息子なんかが心配するんや」
      で、冬の間は息子夫婦と高島で過ごすという。
      「じゃあ、あと20年もしたら……」
      と言うと、老夫は声を大きくして笑いだした。
      「とっくに死んでるがな」
      ――シマッタ!
      「そうじゃなくて……」
      ――たぶん、私だって生きちゃいない!
      私が一瞬脳裏に描いたのは雪に埋もれる「畑」の村が
      無人になった光景だった。
      「冬の間はだれもいなくなる」
      「そうやなあ、みんな年寄りばっかりやからな。
       もうすぐ、そうなるやろ」
      陽が山際に入りかけていた。

      「おじさん」
      私は《おじいさん》と言うのを避けていた。
      「柿の木に、実がほとんどないですね?」
      私はこれを最後の質問にしようとして、靴を履き替え始めた。
      「猿や。
       ほれ、ウチの無花果も…、見てみい」
      川のそばに立派な木がある。
      「ワシが一個も喰わんうちに、エエ具合になったらみんな
       猿の奴が喰うてしまいよる」
      木に小さな実が二三個だけ
      暗くなった木陰で貧相にくっついている。
      「さすがに村の中の柿は大丈夫みたいですね」
      と、家の庭木となっといる柿の木を網で覆っている光景が頭に浮かんだ。
      「いろいろ、ありがとうございました、おじさん」
      老夫はまだ話したげだったが私は暗くなりかけた道を急ぐべく
      大きな声で別れを告げた。

      「また来ます」
      ――冬になっても……。
      その言葉は飲み込んで、私は頭を下げた。


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      ウド (ウコギ科)の多年生草本。植物全体が食用になる。花期は7~9月。




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