美しくなくても…

〈「座禅草」―― 座禅草 その後 5月 ――〉


 5月21日、日曜日だというのに出かけた。
 そろそろ座禅草が気になり始めていたからである。
 ―― ついでにビラデスト今津へも行こう。
 ―― きっと醜くなってるやろなあ。
弘川の自生地は案の定だれもいなかった。前回、4月のときもそうだった。どうしたわけか、周囲は綺麗に手が加えられ、気持ちのいい散策道のようだった。

イメージ 1


 座禅草の葉はいっそう伸びて、6、70センチはあろうか、

イメージ 2

 ―― これでは食べられそうもないな。

イメージ 3

 座禅草の葉が食べられるのかどうか確認したわけではない。ただ、前回きたとき美味そうに見えたのである。
 ゆっくりと座禅草を探したがまるで見つからない。葉が繁って、あんなにたくさんあった座禅草を蔽いつくしていることもあるが、
 ―― 腐ってなくなったんかなあ?
 と不安がよぎる。ほんとうに見つけられないのだ。ウロウロしていると一人の70代と思われる男性が入口の方から姿を見せ、ゆっくりと近づいてくる。
 ―― やっぱり、怪しいかなあ、儂。
 〈怪しい男〉は現役時代の私のトレードマークである。
 その人が私に近寄って、
 「座禅草の写真ですか?」と話しかけてきた。温顔である。肌が健康的につやつやしている。
 どうやら、私が探しあぐねているのを見て気の毒に思えたのだろう。ぽつぽつと昔話をしながら座禅草の在り処を教えてくれた。

イメージ 4


 その人は、この自生地を世話し続けている人だった。
 「昔は、これ何の花やろ思て、分からんままズーぅと世話をしてたんですワぁ。」
 中学生が生活観察学習のときここの座禅草について報告するとまず学校の先生が来て座禅草の群生を確認してビックリギョックリ〈フザケテ スミマセン〉、早速滋賀県教育委員会へ連絡したそうだ。教育委員会もトンできて、たちまち環境保全地域に指定され、管理権は県のものになってしまった。と言っても、環境整備には金もなんとか下りるがその日常的な維持管理をするわけではないから、ソレハ地元マカセ。いろんな苦労話をお聞きした。中で印象に残ったことは、一つは行政との対応のまどろっこしさと煩わしさ。もう一つは、

イメージ 5

 「座禅草の周りで成長する木の世話や枯れ木などの処理がたいへんでねぇ…。」
 そう言われればたくさんの竹や棘のいっぱい付いた木が茂っている。

 長話をしてしまった礼を言ったあと、
 「来月もまた来ます。」と言うと、その人は黙ったまま、温顔をいっそう緩ませて頷いてくれた。

イメージ 6

イメージ 7

 私は座禅草の撮影を助けていただいたことに感謝して自生地の雑木林を後にした。

イメージ 8

 ―― 座禅草を守る人は雑木林を守る人なんや。
 ―― 来月もまた会えるとええなあ。

 美しい写真ではない。でも……